三春町の石柱

石柱から三春の歴史を感じる

三春町は、戦国時代の1504年に田村義顕が三春に居城を移してから、さまざまな街道が交わる田村地方の中心地として栄えました。
そのため、今日でも町の名前や橋の名前、坂の名前などで当時の生活を感じることができます。
「三春まちづくり協会」の街並部会の方々が町内中心部の34ヶ所に石柱を設置し、その場所が当時どのような場所だったかを案内しています。

三春町中心部の34か所にこの石柱が設置されている。

「三春まちづくり協会」の街並部会が作成した拓本ラリー帳もありますので、ご希望の方はお問合せください。
 住所:福島県田村郡三春町貝山字泉沢100-1
 電話:0247-62-3988

また、この石柱は拓本もできるようになっています。石柱の上部に碑の名前を記していますので、白い紙をしっかり固定し、鉛筆やクーピーで軽くこすると拓本を取ることができます。ぜひお楽しみください。

石柱の設置場所

googlemapで石柱の設置場所をご案内しますので、三春町の歴史を感じる一つのツールとしてご活用ください。

1.担橋(かつぎばし)
平沢の虚空蔵尊に参詣者が多くいたため、橋がその重みに耐えきれず、橋を下から支えて担いだことから名付けられたと言い伝えられている。

2.新観(しんかん)
この奥に田村三十三観音の一つ第四番札所千手観音堂があり、多くの信仰を集めた。今は御詠歌が残っているだけである。

3.道場町(どうじょうまち)
法蔵寺は、町内で最も古い古刹で、念仏修行の道場だった。そのためその門前を道場町と呼んでいた。

4.小浜海道(おばまかいどう)
小浜(岩代町)へ行く道で、絹の道とも言われていた。

5.日向町・北向町(ひなたまち・きたむかいまち)

6.燕清水(つばめしみず)
地名の由来は未詳。三春城下には多くの名水・清水があり、燕清水もその一つに由来すると思われる。

7.天神橋(てんじんばし)
二ノ丸の北にあった天神橋へ通じる道だった。

8.三分坂(さんぶざか)
三春城主田村公の旗本「不断衆」の屋敷跡。後の秋田公代には、藩主及び御城の近侍・警固の「宿直(とのい)番衆」が屋敷を構えた。宿直番衆は、昼夜を問わない激務のため、手当てが銀三分上乗せ支給されていたので三分坂と呼ばれたと伝えられている。

9.亀井(かめい)
三春城下四名水の一つ「亀井」にちなんで付けられた地名。井戸は三春城へ登る坂の途中にあった。

10.烏帽子石(えぼしいし)
北町の六地蔵堂の先にあった「立烏帽子」「風折烏帽子」の形に似た石を烏帽子石と名付けた。

11.師範場(しはんば)
三春城下絵図によれば、木戸外師範場とも呼ばれ、現在の師範場となった。

12.八十内(やそうち)
八十内には三春藩筆頭家老荒木家の下屋敷があった。近年に入り弓町新地に遊郭島屋の白い洋館様式の別邸があった。

13.化粧坂(けわいざか)
磐城街道から城下に入るところに井戸があり、城下に入る人々が化粧を直したことから化粧坂と呼ばれた。

14.磐城街道入口(いわきかいどういりぐち)
三春城下七街道の一つで、いわき方面に向かう街道だった。

15.四軒丁(しけんちょう)
三春城主秋田家の時代に半農足軽が住んでいた長屋があった。

16.鉄砲場(てっぽうば)
寛政年間、鉄砲の稽古場、角場とも言われていた。

17.せり場(せりば)
三春駒の産地として知られた三春では領内数ヶ所に馬のせり場を設置していた。この地は三春城下のせり場で最も繁盛した場所。

18.弓町(ゆみまち)
三春藩の「御先弓組」「御持弓組」といった組織に属する武士が住んでいたため、弓町と名付けられた。

19.弓場(ゆみば)
この辺り、藩政時代に弓の稽古場があった。

20.山中(さんちゅう)
戦国大名田村氏によって守山(郡山市田村町)より移された大元明王の門前町で、守山の大元明王があった場所の地名をそのまま移したもの。

21.お城坂(おしろざか)
三春城に登る坂道で、坂の上には戦国時代の竪堀が残っている。江戸時代には坂を挟んで重臣の屋敷があった。

22.会下谷(えげたに)
かつてこの地には曹洞宗天澤寺があり、高名な老師ぎ在籍していた。その下へ参禅する修行僧や雲水の住む、塔頭や修行道場である僧堂が至ったことから会下谷と呼ばれるようになった。
 ※会下(えか)…修行僧の総称。
 ※雲水(うんすい)…修行のために場所を定めず諸所を遍歴する僧。行脚僧。

23.道路元標復元(どうろげんぴょうふくげん)

24.桜谷(さくらたに)
昔からこの付近では武家屋敷の大きなしだれ桜の古木を中心に、谷のあちらこちらで桜の花が咲き誇っていた。

25.小金滝(こがねたき)
小さな滝に山吹の花が映り、黄金色に見えたので、こう呼ばれるようになった。

26.本陣(ほんじん)
三春城下の検断職(町役人)を勤めた川又家は、その屋敷を幕府巡検使などの宿所、本陣にしていたことから、このように呼ばれた。

27.御免町(ごめんまち)
戦国大名田村氏の菩提寺である福聚寺は、罪人の駆け込みが御免されていたため、その門前を御免町と名付けた。

28.尼ヶ谷(あまがや)
馬場と尼ヶ谷の狭い谷間の路地に小さな尼寺があったと言われている。

29.馬場(ばば)
秋田氏の時代、この辺りに藩の「馬場」があったため、名付けられた。

30.丈六(じょうろく)
ここに仏を安置するお堂があり、仏の身長が一丈六尺とされることから、略して丈六と称されることに由来して付けられた。

31.踊り場(おどりば)
三春城下では、各町で盆踊りが賑やかに行われていたために「踊り場」と名付けられた。

32.会津街道入口(あいづかいどういりぐち)
三春街道より阿久津・御霊櫃峠を経て会津城下に至る道の入口で、いわきから会津へ塩を運ぶ「塩の道」だった。

33.雁木田(がんぎた)
地名の由来は未詳。文字から言えば、この周辺の田んぼが「雁木」(坂道や海岸で人の登り下りに対応して作られた階段状の部分)に似ていることから付けられたものと推測。

34.江戸街道(えどかいどう)
三春城下より守山を経由して奥州街道に通じる道の入口で、三春藩主が参勤交代に利用したため、殿様街道とも呼ばれた。

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