葛尾大尽の歴史
今から約500年前、福島県の阿武隈山系の山中に、松本三九郎一族が信州から移り住みました。
信州の葛尾城主であった松本介照が、甲州の武田信玄に追われて奥州に移り、金集の頃、今の葛尾に居を構えましたが、その際、信州葛尾城を偲んでこの地を「葛尾」と呼ぶようにしたのが村名の由来です。
金集の頃、武士から商人へと変わり、その子好倉(初代松本三九郎)は、栗原新田を開発し、その米で酒造りを始め、両替商を営んだことなどから、次第に富を築き、「葛尾大尽」と呼ばれるようになったといわれています。
第7代重供(二代松本三九郎)は、砂鉄に目をつけ、製鉄を始めました。屋号を「鉄屋」と称し、第8代博通は、奴僕数十人を使い、生糸を近国より買い占め、京都・大阪まで商いをしていました。第9代聰通(三代松本三九郎)は、家僕百数十人を使い商業を発展させ、 近隣の三春藩を始め、相馬藩や棚倉藩に大金を献上すると同時に、多額の金を貸し付け、藩の財政の一部に介入し、山林伐採・酒造米の買い入れや、塩などの売買の独占権を得ていたといわれています。妻3人おり、後妻に京都の遠藤兵部の娘イネを迎えました。宅地内の舞殿前の庭園は近江百景を表し、池端の桜は京都より持参し、可憐な花を咲かせていたそうです。第13代久通(四代松本三九郎)の時、相馬、三春公より合わせて六百石を賜りました。
第14代兼通の時は大商法により江戸八丁堀に木材商を開き、大火の時は木材によりさらに富を増しました。天保の大飢饉の時は、凶作を救うため、竹団子、あわ、ひえ、じゅうねんを材料に団子を食料供給していました。
およそ200年にわたり栄華を誇りましたが、商売の中心だった製鉄業の不振に伴い衰退の一途をたどり、明治時代に没落。明治4年と昭和8年の火災で、豪壮を極めた建物の大半を焼失しました。
葛尾大尽のいま
屋敷跡として石垣や庭園が残っていましたが、平成17年の発掘調査により、48棟あったと伝えられている蔵の基礎石や、近江八景庭園跡の全体が発見され、葛尾大尽屋敷跡として公開されています。
葛尾村では松本姓が圧倒的に多いですが、それは松本三九郎一族に由来すると考えられています。



まとめ
名称 | 葛尾大尽屋敷跡 |
よみ | かつらおだいじんやしきあと |
住所 | 葛尾村葛尾字敷井畑84-3 |
営業日 | 通年 |
営業時間 | 特になし |
料金 | 無料 |
駐車場 | 専用駐車場 |
売店 | なし |
トイレ | あり |
文化財登録 | 葛尾村指定史跡 |
公式サイト | ![]() |
主な旅行サイト | ![]() |
アクセスと周辺
●自動車でのアクセス
※出発地は、何度でも自由に再指定することができます。
※ルートおよび所要時間は参考情報としてご利用ください。これらの情報は、混雑具合や工事、天候等の影響により異なる場合があります。移動時は実際の標識や案内板等に従ってください。
※有料道経由が必ずしも便利とは限りませんのでご注意ください。
新白河駅から![]() |
有料道経由(ETC搭載車) | 1時間29分(92.7km) |
有料道経由(ETC非搭載車) | 1時間30分(97.0km) | |
一般道経由 | 1時間51分(86.8km) | |
郡山駅から![]() |
有料道経由 | 1時間1分(43.6km) |
一般道経由 | 1時間4分(43.4km) | |
福島駅から![]() |
有料道経由(ETC搭載車) | 1時間23分(60.0km) |
有料道経由(ETC非搭載車) | 1時間22分(67.6km) | |
一般道経由 | 1時間10分(49.3km) | |
原ノ町駅から![]() |
有料道経由 | 1時間4分(52.4km) |
一般道経由 | 56分(37.6km) | |
いわき駅から![]() |
有料道経由(ETC搭載車) | 1時間28分(88.4km) |
有料道経由(ETC非搭載車) | 1時間33分(87.1km) | |
一般道経由 | 1時間38分(72.5km) | |
福島空港から![]() |
あぶくま高原道路経由(ETC搭載車) | 1時間13分(68.6km) |
あぶくま高原道路経由(ETC非搭載車) | 1時間17分(66.5km) | |
一般道経由 | 1時間17分(62.1km) |
●鉄道でのアクセス
最寄り駅:JR磐越東線 船引駅(24.0km)
乗換案内 | ![]() |
最寄り駅から路線バス | なし |
最寄り駅からタクシー | 羽場タクシー 0247-82-1137 |
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